子供が生まれてから、アンパンマンの存在感をあらためて思い知らされるようになりました。
なぜここまで子供に刺さるのかは、正直よく分かりません。けれど、ご多分に漏れず、わが家も気づけばアンパンマン経済圏に取り巻かれています。おもちゃ、服、食器、絵本、動画。生活のあちこちに、当たり前のようにアンパンマンが入り込んでくる。
現実世界のアンパンマンは、間違いなく巨大なキャラクタービジネスです。各種のIP収益ランキングでも世界有数のキャラクターとして扱われることがあり、日本の乳幼児向け市場では圧倒的な存在感を持っています。
ところが、作品世界のアンパンマン本人からは、驚くほど資本主義の香りがしません。
パン工場はある。食べ物を作るキャラクターもいる。町もあり、乗り物もあり、道具もある。にもかかわらず、そこには価格、賃金、利益、競争、広告、契約といったものがほとんど見えてきません。
アンパンマンは、自分の顔を売りません。困っている人に分け与えます。しかも、余ったパンではなく、自分自身の一部を差し出します。
もちろん、これは子供向け作品です。現実の経済制度を描くための物語ではありません。けれど、大人が違う視点で見てみると、アンパンマンの世界はかなり不思議です。
あの世界は資本主義なのか。社会主義なのか。あるいは、そのどちらでもないのか。
整理してみました。
資本主義として見ると、アンパンマン世界はかなり奇妙
資本主義とは、ざっくり言えば、商品やサービスを市場で交換し、利益を得て、資本を増やしていく仕組みです。
もちろん、現実の資本主義もそれだけで説明できるものではありません。福祉もありますし、公共事業もありますし、家族や地域の助け合いもあります。ただ、それでも資本主義社会の中心には、価格、売買、賃金、所有、利益、競争といった要素があります。
では、アンパンマンの世界はどうでしょうか。
パン工場はあります。ジャムおじさんはパンを作っています。バタコさんも働いています。食べ物を扱うキャラクターもたくさんいます。カレーパンマン、しょくぱんまん、てんどんまん、かまめしどん、ハンバーガーキッド。食べ物やサービスのようなものは、むしろ豊富に存在しています。
それなのに、彼らが市場で競争しているようには見えません。
カレーパンマンが価格競争を仕掛けるわけでもない。しょくぱんまんがブランド戦略で高級食パン市場を独占するわけでもない。ジャムおじさんがパン工場の利益率を改善するために原材料費を削減するわけでもない。
何より、アンパンマンは自分の顔を売りません。
アンパンマンの顔は、「食料」です。しかも、困っている人を助けるための食料です。資本主義的に考えるなら、それは商品になり得ます。希少性があり、需要があり、ブランド力もある。もしアンパンマンが現実世界にいたら、「アンパンマンの顔」は相当強い商品になるはずです。
けれど、作品内のアンパンマンはそれを商品化しません。
彼は困っている人に、自分の顔を分け与えます。
ここで、パンは商品ではなくなります。パンは「救済」になります。
社会主義国家なのか
では、アンパンマンの世界は社会主義なのでしょうか。
たしかに、そう見える部分はあります。
困っている人に食料が届く。利益よりも共同体の維持が優先される。貧富の差はあまり見えない。各キャラクターはそれぞれの役割を持ち、町や社会を支えているように見えます。
社会主義とは、ざっくり言えば、生産や分配を市場原理だけに任せず、社会全体で管理しようとする思想や制度です。そう考えると、アンパンマン世界には、どこか社会主義的な匂いもあります。
ただし、社会主義国家かと言われると、かなり違います。
なぜなら、国家が見えないからです。
政府がない。官僚制がない。税制がない。計画経済も見えない。警察や軍隊のような制度も、少なくとも物語の中心には出てきません。
社会主義国家であれば、分配を担う制度があります。誰が何を作り、誰にどう配るのかを決める仕組みがあります。ところが、アンパンマンの世界では、そうした制度よりも先に、困っている人を見つけたアンパンマンが飛んでいきます。
つまり、アンパンマン世界は社会主義国家ではありません。
分配はある。相互扶助もある。けれど、それを国家が管理しているわけではない。
実態がつかめず、面白くなってきました。
近いのは「贈与経済」ではないか
アンパンマンの世界を考えるうえで、一番しっくりくるのは「贈与経済」という見方です。
贈与経済とは、売買や価格による交換ではなく、贈ること、分け与えること、助け合うことによって共同体が維持される経済のことです。
たとえば、誰かが困っているから食べ物を分ける。今度は別の誰かが別の場面で助ける。直接的な等価交換ではないけれど、贈与や互酬が巡ることで社会が保たれていく。
アンパンマンの顔は、まさにこの贈与です。
アンパンマンは、顔を売りません。顔を分けます。
しかも、彼が分けるのは余剰ではありません。余ったパンを配っているわけではなく、自分自身の一部を差し出しています。
これはかなり強い設定じゃないですか。
普通のヒーローは、敵を倒します。街を守ります。悪と戦います。もちろんアンパンマンもばいきんまんと戦いますが、アンパンマンの本質はそこだけではありません。
彼のヒーロー性は、空腹の人に自分の顔を分け与えるところにあります。
戦うことよりも、食べさせること。勝つことよりも、支えること。
その意味で、アンパンマンは戦闘型ヒーローである以前に、「贈与型ヒーロー」です。
アンパンマンは人格か、システムか
もう一つ、個人的に気になっていることがあります。
アンパンマンは、カレーパンマンやしょくぱんまんに比べて、少し感情が薄いように見えるのです。
カレーパンマンは分かりやすく感情的です。怒りっぽく、勢いがあり、キャラクターとしての温度が高い。しょくぱんまんには美意識や誇りがあり、少しナルシシズムのようなものも感じます。
それに対して、アンパンマンは妙に安定しています。
もちろん、彼にも感情はあります。優しさもあるし、怒ることもある。ただ、他のキャラクターに比べると、個人的な欲望や揺れが薄いように見えます。
困っている人がいる。
助ける。
お腹が空いている人がいる。
顔を分ける。
ばいきんまんが悪さをしている。
止める。
この動きに、ほとんど迷いがありません。
悪く言えば、少し無機質です。初期のLLMを相手にしているような、条件が入力されると決まった倫理で作動するシステムのような印象すらあります。
私には、アンパンマンはただの感情豊かな個人というより、共同体を維持するための「公共システム」のように見えました。
困っている人がいれば作動する。空腹があれば食料を供給する。ばいきんまんによる攪乱があれば治安を回復する。
そこにあるのは、気分によって変わる善意ではありません。
ほとんど「制度化された善意」です。
アンパンマンは公共財であり、セーフティネットである
この見方をすると、アンパンマンはヒーローであると同時に、「公共財」のようにも見えてきます。
公共財とは、特定の誰かだけが独占するものではなく、社会全体にとって必要な財や機能のことです。道路、治安、防災、基礎的な安全保障のようなものを考えると分かりやすいかもしれません。
アンパンマンは、食料供給、弱者救済、治安維持、災害対応を一人で担っています。
お腹をすかせた人がいれば、顔を分ける。困っている人がいれば、助けに行く。ばいきんまんが町を荒らせば、止めに入る。
これは、かなり公共インフラに近い役割です。
さらに言えば、アンパンマンはセーフティネットでもあります。
セーフティネットとは、困ったときに最低限支えてくれる仕組みのことです。現実社会で言えば、福祉、医療、生活保護、災害支援などがそれにあたります。
アンパンマン世界では、そのセーフティネットを、制度ではなくヒーローが担っている。
ここに、アンパンマンの世界の独特な構造があります。
国家は見えない。市場も薄い。けれど、困っている人は放置されない。
その代わりに、アンパンマンが飛んでくる。
ジャムおじさんのパン工場は何なのか
では、ジャムおじさんのパン工場は何なのでしょうか。
資本主義的に見れば、ジャムおじさんは生産手段を持っています。パン工場という設備があり、パンを作る技術があり、バタコさんやチーズとともに生産活動をしています。
しかし、ジャムおじさんが利潤を最大化しようとしているようには見えません。
パン工場は、企業というよりも、アンパンマン世界の基幹インフラに近い。
特に重要なのは、ジャムおじさんが新しい顔を焼くことです。
アンパンマンは顔を分け与えることで弱っていきます。ばいきんまんに顔を濡らされたり、汚されたりして力を失うこともあります。そのたびに、ジャムおじさんが新しい顔を焼き、バタコさんが投げ、アンパンマンは復活します。
これは単なる修理ではなく社会システムの「再生産」です。
再生産とは、社会や労働力が翌日も続くように維持されることです。アンパンマンの場合、新しい顔を焼くことが、アンパンマンという公共機能の再生産になっています。
つまり、ジャムおじさんのパン工場は、パン屋であると同時に、アンパンマン世界のセーフティネットを維持する中枢でもある。
そう考えると、パン工場の意味が少し変わって見えてきます。あれは店舗ではなく、「社会維持装置」なのかもしれません。
ばいきんまんは資本主義者ではない
ここで、ばいきんまんについても考えてみます。
アンパンマンが贈与や公共性の側にいるなら、ばいきんまんは資本主義の象徴なのでしょうか。
これは少し違うと思います。
ばいきんまんは、市場のプレイヤーではありません。商品を作って売るわけではないし、契約を結んで利益を得るわけでもない。彼の行動は、交換ではなく、略奪です。
奪う。壊す。だます。独占する。支配しようとする。
これは資本主義というより、贈与経済の外部からやってくる攪乱要因です。
ただし、ばいきんまんはアンパンマン世界の中でかなり特殊な存在でもあります。
彼には強い所有欲があります。バイキン城があり、メカがあり、発明品があり、支配欲があります。技術開発力も高い。ある意味では、アンパンマン世界で最も「私有」や「独占」に近い欲望を持っている存在です。
だから、ばいきんまんは資本主義そのものではない。
けれど、アンパンマン世界の贈与的な秩序に対して、所有、独占、支配を持ち込もうとする存在ではあります。
ポスト資本主義の思考実験としてのアンパンマン
ここまで考えると、アンパンマンの世界は、ポスト資本主義の思考実験のようにも見えてきます。
ポスト資本主義とは、資本主義の次に来るかもしれない社会のあり方を考える言葉です。明確な一つの制度を指すというより、市場競争や利益最大化だけでは社会を維持できないのではないか、という問題意識の先にある考え方です。
アンパンマン世界では、生きるために必要なものが、市場から少し切り離されています。
食料。
ケア。
安全。
緊急時の支援。
これらが商品として売買されるのではなく、共同体の倫理によって提供される。
もちろん、現実社会でこれをそのまま実現するのは無理があります。アンパンマンのように空を飛び、自分の顔を食べさせ、何度でも新しい顔で復活する存在はいません。社会制度として見れば、あまりにもファンタジーです。
しかし、思考実験としては面白くないですか。
もし、社会にとって本当に必要なものが、すべて市場の商品になってしまったらどうなるのか。逆に、食料や安全やケアが、市場の外側で支えられる世界はあり得るのか。
アンパンマンは、子供向けの単純なヒーローに見えて、実はかなり根源的な問いを含んでいるように感じました。
人を助けるとは何か。
正義とは何か。
食べ物を分けるとは何か。
共同体を支えるとは何か。
そして、その問いの中心にあるのが、「顔を分ける」という、とんでもなくシンプルで強い設定です。
アンパンマンは顔を売らない。顔を分ける。
アンパンマンの世界は、資本主義社会ではありません。少なくとも、私たちが現実に生きているような、市場、価格、利益、競争を中心とする社会には見えません。
一方で、社会主義国家とも少し違います。政府も、官僚制も、計画経済も、強い国家権力も見えてこないからです。
むしろ近いのは、贈与経済です。困っている人に、必要なものが差し出される。売買ではなく、分配と相互扶助によって共同体が維持される。アンパンマンの顔は、商品ではなく、贈与です。
そして、その中心にいるアンパンマンは、感情豊かな一個人というより、共同体のために作動し続ける公共インフラのようにも見えます。
困っている人がいれば助ける。
お腹が空いている人がいれば、顔を分ける。
秩序が乱れれば、回復する。
その安定した善意は、少し無機質にすら見えます。けれど、その無機質さこそが、公共性の強さなのかもしれません。
もちろん、アンパンマンは子供向け作品です。社会制度の設計図として読む必要はありません。
それでも、大人が少し角度を変えて見ると、アンパンマンの世界は、ポスト資本主義的な思考実験のようにも見えてきます。生きるために必要な食料やケアや安全が、市場の商品ではなく、共同体の倫理によって支えられる世界。
アンパンマンは顔を売りません。顔を分けます。
考えてみれば、とんでもない設定です。自分を削って、誰かを助ける。勝利よりも、空腹を満たすことを正義の中心に置く。
これを子供向けの物語として成立させ、しかも長く愛されるキャラクターにした、やなせたかしさんは、やはりすごいと思います。
単純で、分かりやすくて、でも深い。
アンパンマンは、今日も顔を売らない。
ただ、困っている誰かに分けるのです。

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