「人」と「情報の種類」には相性があるかも?――文字・写真・動画・音声についての私的考察

水彩画調で、考え込む猫の周囲に本、写真とカメラ、動画を示すスマートフォン、音声を示すヘッドホンが浮かぶイラスト 雑記

先日、ITパスポート試験の勉強をしていて、あらためて気づいたことがあります。

私はどうも、音声から情報を取り込むのがかなり得意らしい。

もともとPodcastを聞くのが好きで、内容によってはかなり速い再生速度でも聞けます。単純作業をしながら聞くこともできますし、同じ内容を何度か繰り返して聞くことにもあまり抵抗がありません。

ITパスポートの勉強でも、この性質がかなり役に立ちました。NotebookLMに試験範囲をまとめた資料を入れ、音声コンテンツを作って何度も聞く。もちろん問題演習や文章での確認もしましたが、知識を大量に頭へ入れていく段階では、少なくとも私には音声がかなり効率的でした。

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そこで、ふと思いました。

人と「情報の種類」には、相性のようなものがあるのではないでしょうか。

私は「音声型」なのか

こういう話をすると、「視覚型」「聴覚型」のような分類を思い浮かべる人もいるかもしれません。

ただ、私はそこまで単純な話だとは思っていません。

「この人は聴覚型だから、何でも音声で教えれば学習効率が上がる」といった、いわゆる学習スタイルの考え方には慎重になった方がいいでしょう。人をいくつかのタイプに分類して、そのタイプに教材を合わせれば必ず学習成果が上がる、というほど単純ではありません。

私自身、音声なら何でも理解しやすいわけではありません。

たとえばシステム構成なら、サーバー、データベース、複数サービスの接続関係を音声だけで延々説明されるより、構成図を一枚見た方が圧倒的に速いです。

植物の組織構造も同じです。維管束や形成層の位置関係は、文章や音声でも説明できますが、顕微鏡写真や模式図なら一瞬で理解できることがあります。

さらに「動き」が重要なら動画が強い。実験操作、機械の動作、人の身体の使い方、自動車の挙動。静止画では分かりにくい情報があります。

つまり、私の場合は、

音声から情報を取るのは得意。でも、情報によっては画像や映像の方が明らかに優れている。

なるほど? じゃぁ、「人には得意な情報形式がある」だけではなく、同じ人でも、扱う情報によって最適な形式が変わるのでは。

この方が、実際の感覚には近いです。

現代社会では、文字から情報を得る能力が強い

現代社会では、文字から情報を得る能力がかなり重視されています。

学校では教科書を読み、試験では問題文を読みます。大学では論文、仕事ではメール、契約書、マニュアル、報告書を読む。インターネットも長い間、文字を中心に発展してきました。

文字は非常に優秀な情報媒体です。複雑な概念を正確に記録でき、検索でき、引用でき、何度でも読み返せます。

だから、文字を素早く読み、意味を正確に理解し、そこから論理を組み立てられる能力が高く評価されるのは自然です。

ただ、それが社会の中心にあるために、

「文字から情報を取るのが得意」という特性と、「知的である」という評価が、かなり重なって見えている部分もあるのではないか。

そんなことも考えます。

人間は、言葉以外からもかなりの情報を取っている

実際、人間が日常生活で受け取っている情報は文字だけではありません。

対面で話すときには、発言内容だけでなく、声の大きさ、声色、話す速度、間の取り方、表情、視線、姿勢まで見ています。

たとえば「大丈夫です」という同じ言葉でも、本当に大丈夫なのか、少し困っているのか、不満があるのかは、言葉以外の情報から判断していることがあります。

オンラインより対面の交渉が得意な人がいるのも、このあたりと関係しているのかもしれません。文字で条件を整理するのは得意ではなくても、相手の反応を見ながら話を進めると非常に強い人がいます。

それも一つの情報処理能力です。

Instagramでは「写真」だけを見ているわけではない

SNSで考えると、さらに分かりやすいです。

Instagramで利用者が読み取っているのは、画像そのものだけではありません。

いつ投稿されたのか。今撮った写真なのか。どんな色に加工されているのか。背景には何が写っているのか。普段の投稿と比べて何が違うのか。

写真そのものに、時間や過去の投稿との関係、加工の仕方といったメタ情報が重なっています。

これを自然に読み取る能力も、考えてみるとなかなか高度です。

TikTokになると、さらに情報の種類が増える

短い動画になると、情報の種類はもっと増えます。

映像、声、表情、身体の動き、字幕、BGM、編集、流行の文脈。

音ハメとか、気持ちいいすね。

同じ数十秒でも、文字だけの文章とはかなり違う種類の情報が同時に流れています。

短い動画を次々に見る文化には様々な評価があります。ただ、「文字より情報量が多い・少ない媒体」と単純に考えるのは違う気がします。

むしろ、文字とは「違う」情報を扱っている媒体と考えた方がよさそうです。

Podcastにも、Podcastなりの強さがある

一方、私はPodcastのような音声コンテンツとの相性がかなりいいです。

理由を考えると、単に「耳から覚える方が得意」というだけではありません。

まず、視覚を使わない。移動しながら聞ける。家事をしながら聞ける。単純な作業をしながら聞けます。

画面を見なくても理解できる内容なら、耳だけ使って、目と手は別のことに使いたい。これは結構大きいです。

また、同じ音声を繰り返し聞くことも苦になりません。一回目で全体像を取り、二回目で聞き逃したところを拾い、何度か聞くうちに用語が定着する。

ITパスポートの勉強では、これがかなりうまく機能しました。

ただし、図表や数式、構造を理解するときには音声が明らかに不利になることもあります。

情報にも「向いている形」がある

ここまで考えると、最初の疑問が少し変わってきます。

「人によって、文字・音声・画像・動画の得手不得手がある」というだけではなく、

人の特性と、情報の性質の組み合わせによって、相性が変わるのではないか。

用語や概念を繰り返し頭に入れるなら、私には音声が合っています。

空間構造なら図。動作なら動画。定義や数値を正確に確認するなら文章。

同じ人間の中でも変わります。

だから、「私は聴覚型」「私は視覚型」と一つに分類してしまうより、自分は、どんな情報を、どんな形で受け取ると理解しやすいのかを知っていく方が実用的です。

でも「好き」は、相性を超えてくる

ただ、ここには一つ例外のようなものがあります。

「好き」です。

好きなことについては、情報形式との相性が多少悪くても、あまり問題になりません。

本当は図で見た方が理解しやすい内容でも、文字しかなければ読む。動画がなくても写真を見る。写真が一枚しかなければ、その一枚をじっくり見る。

なんなら、情報が枯れるまで絞り取る。

分からなければもう一度読む。別の資料を探す。専門用語を検索する。関連論文を読む。Podcastがあれば聞くし、動画があれば見る。

「好き」は、一つの情報形式から情報を取り込む能力を突然高くするというより、情報に接触し続ける力をものすごく強くするのかもしれません。

逆に、相性がいい情報形式でも、まったく興味がなければ頭に入らないことがあります。

人と情報の関係を考えるなら、「人の特性」「情報の性質」「情報形式」に加えて、どれだけ好きかもかなり大きな要素なのでしょう。

自分の「情報の取扱説明書」を知る

こう考えると、「自分に合った勉強法を見つける」という言葉の意味も少し変わります。

最強の勉強法を一つ見つけるわけではありません。

文章を読むのが速いなら文章を使う。音声を高速で処理できるなら音声を使う。図の方が理解できる内容なら図を探す。問題を解かないと定着しないなら問題を解く。

重要なのは、一般に「良い」とされる方法に自分を合わせることではなく、自分が情報をどう処理しているのかを知ることなのかもしれません。

自分自身の「情報の取扱説明書」を作るようなものです。

私なら、

「概念の反復は音声が強い」 「空間構造は画像」 「複雑な関係は図」 「動作は動画」 「正確な確認は文章」 「好きなことなら、だいたい何でも取りに行く」

あたりが入りそうです。

生成AIによって、情報の側を変えられるようになった

そして、この話を考えていて、生成AIとの相性の良さにも気づきました。

これまで、情報の形式は基本的に提供者が決めていました。本なら文章、講義なら音声、テレビなら映像。受け手は、その形式に合わせるしかありませんでした。

ところが生成AIが普及して、文章を要約し、難しい内容を会話形式にし、長い資料から問題集を作り、文章を音声へ変換し、図解まで作れるようになってきました。

人間が情報の形式に合わせるだけでなく、情報の形式を人間に合わせられる。

これは結構大きな変化だと思います。

もちろん何でも変換すればいいわけではありません。情報自体にも向いている表現形式があります。

理想は、その情報に向いている表現方法と、その人に向いている受け取り方を組み合わせることなのでしょう。

世界の受け取り方は、一つではない

ITパスポートの試験勉強をしていて、「自分は音声で覚えるのが結構得意だな」と思った。それが出発点でした。

でも考えてみると、文字を読む、人の話を聞く、写真を見る、動画を見る、人と直接話す――どれも「情報を受け取る」行為ですが、そこで使っている能力は完全には同じではありません。

人によって得意不得意があり、同じ人でも情報によって向いている方法が変わります。そこに「好き」が加わると、多少の向き不向きさえ超えてしまうことがある。

だから、人と情報の間には「相性」と呼びたくなる何かがあるのだと思います。

これは科学的な分類を提案したいわけではありません。あくまで、自分自身の経験から考えた私的な話です。

ただ、新しい情報を理解しようとするとき、

「自分はこの内容を、どんな形で受け取れば一番よく理解できるだろう」

と考えてみる価値はありそうです。

そしてもう一つ。

「自分は何なら、多少効率が悪くても知り続けたいと思えるだろう」

自分の取扱説明書を知るというのは、たぶんその両方です。

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