ライブラロミクス。古い本は文字だけを残しているわけではない

近世から近代の和本、再生紙で作られた表紙、そこに埋め込まれた人毛を示した研究図 雑記
和本と、再生厚紙の表紙に埋め込まれた人毛。Maruyama et al., Scientific Reports (2026), CC BY 4.0.

古い和本の表紙から、人の髪の毛が見つかりました。何百年も前の本なら、作った人や使った人の髪がたまたま入り込むこともあるでしょう。そこまでは、それほど不思議ではありません。

ただ、その一本の髪を分析すると、当時の人が何を食べていたのか、どんな環境で暮らしていたのかまで見えてくる。話が変わってきます。

2026年8月、龍谷大学などの研究グループが Scientific Reports に発表した研究では、17~19世紀の和本の表紙に埋め込まれていた人毛を分析し、近世から近代にかけての都市住民の食生活や元素曝露を調べています。

論文の後半には libraromics(ライブラロミクス) という言葉も出てきます。本に書かれた文章ではなく、本そのものに残った生物学的な情報を読む。今回の研究は、その分かりやすい実例です。

なぜ和本の中に髪の毛があるのか

今回調べられた和本の表紙には、外側の紙の下に、古紙を再利用して作った厚紙が使われていました。古紙を集めて漉き直す過程で、人の髪が混ざったと考えられています。

研究チームが調査対象とした蔵書は約7万冊。そのうち810組を詳しく調べると、403組から採取可能な毛髪が見つかりました。珍しい例が数本見つかった、という規模ではありません。

和本には刊行年や出版地が記された奥付が残っていることも多く、毛髪と年代情報をある程度セットで扱えます。研究試料として、かなり都合がいい。

髪に残った元素を調べる

毛髪の分析にはPIXE(Particle Induced X-ray Emission:粒子線励起X線分析)が使われました。少量の試料から複数の元素を調べられる方法です。

今回分析されたのは10元素で、104組の歴史的毛髪と、京都・大阪・東京で採取された現代人40人分の毛髪が比較されました。

歴史的な毛髪では複数の元素が現代より高く、一方で現代の毛髪の方が高い元素もありました。

ここで「昔の食事はミネラル豊富で健康的だった」と読むのは早いです。毛髪中の元素は食事だけで決まるわけではなく、生活環境や身の回りの製品からの曝露も反映します。

炭素と窒素から食生活を読む

研究チームは元素分析に加えて、炭素と窒素の安定同位体比も調べています。安定同位体分析は、過去の食生活を推定する研究でよく使われます。

今回の歴史的毛髪からは、米などのC3植物を中心としながら、海産魚からも多くの栄養を得ていた食生活が示されました。江戸時代の都市生活について知られている食文化ともよく合います。

ただ、同じ「米を食べていた」でも、時代によって中身は少しずつ違います。

白い米を食べるようになった痕跡

米は精米すると、外側に多い成分が減っていきます。今回の歴史的毛髪では、時代が下るにつれてカリウムが低下する傾向がみられ、研究者らは精米度が高くなっていったこととの関係を考えています。

江戸では白米を食べることが豊かさの象徴でもありました。しかし、精米するほどビタミンB1などは失われます。江戸で流行した「江戸患い」、現在でいう脚気の背景にも白米中心の食生活がありました。

「米」という食品名だけでは、食生活は分からない。どの程度精米していたかまで見ないと、体に入る栄養素はかなり変わります。

塩から保存技術が見える

歴史的な毛髪では塩素も目立ちました。現在なら塩分摂取量の話になりそうですが、冷蔵庫のない時代の塩は、単なる調味料ではありません。魚を保存し、離れた都市まで運ぶための技術でもありました。

現代では電気と冷蔵設備が担っている仕事の一部を、当時は塩が担っていたとも言えます。数値の背景まで考えると、食品保存や流通の仕組みまでつながってきます。

化粧からも生活が見える

歴史的毛髪では、現代とは異なる元素曝露の痕跡も見つかっています。論文では、その要因の一つとして当時使われていた白粉なども検討されています。

米をどう精米していたか。魚をどう保存していたか。どんな製品を身の回りで使っていたか。一本の髪から見えてくるのは、献立だけではなく、その周辺にあった暮らしなのかもしれません。

ライブラロミクスという考え方

今回の論文で個人的に一番気になったのが、libraromics(ライブラロミクス) という言葉でした。

本や文化資料の中に保存されている生物由来の物質を分析し、過去の人間や環境について調べる。今回なら、和本の表紙に混ざっていた毛髪が研究試料になりました。

考えてみれば、古い本にはかなりいろいろなものが残っています。紙そのものが植物繊維でできていますし、毛髪や植物片、微生物、場合によってはDNAや化学的な情報が残る可能性もあります。

私たちは普段、本を「文字を保存する物」として扱っています。でも分析装置を持ち込むと、本は別の顔を見せる。歴史資料であると同時に、生物学や化学の試料でもあります。

これ、おもろいすね。

デジタル化では残せないもの

ライブラロミクスを知ると、古書のデジタル化についても少し考えさせられます。

高解像度でスキャンすれば、文字や絵はかなり正確に保存できます。検索もできますし、貴重な資料を世界中から読めます。デジタル化が重要なのは間違いありません。

一方で、画像にできない情報もあります。紙の繊維、毛髪、化学組成、微生物、DNA、安定同位体。こうした情報は、どれだけ高解像度で撮影しても基本的には残りません。

本に書かれた内容を保存することと、本という物体を保存することは同じではない。

今回分析された和本を作った人たちは、数百年後に表紙の毛髪が科学分析されるとは当然考えていなかったでしょう。それでも実物が残ったことで、当時は情報とすら認識されていなかったものを、現在の技術で読み取れるようになりました。

今の技術で何が読めるかだけを基準にすると、未来の技術で読めるはずだった情報まで捨ててしまう可能性があります。

古い本には、まだ読まれていない情報がある

今回使われた毛髪の持ち主が誰なのかは分かりません。年齢も性別も職業も分かりません。

それでも、毛髪には食事や生活環境の一部が残っていました。その髪が古紙に混ざり、本の表紙になり、数百年間保存され、2026年になって分析されています。偶然が何段階も重なってできた記録です。

古い本を開けば、そこに書かれた文章を読めます。それだけでも十分に価値があります。でも実物の本には、文章を書いた人も、本を作った人も意図していなかった情報が残っています。

ライブラロミクスは、そうした「まだ読まれていない情報」を本から取り出そうとする研究なのだと思います。

古い本は、文字だけを未来に残してきたわけではない。


参考文献

Maruyama A, Kuwaki S, Kimura S, et al. Book-embedded hair reveals mineral-rich diets among urban commoners in early modern to modern Japan. Scientific Reports 16, 23469 (2026). 原著論文 / DOI: 10.1038/s41598-026-63908-y

Maruyama A, Takemura J, Sawada H, et al. Hairs in old books isotopically reconstruct the eating habits of early modern Japan. Scientific Reports 8, 12152 (2018). 原著論文 / DOI: 10.1038/s41598-018-30617-0

サムネイル画像: Maruyama et al., Scientific Reports (2026), CC BY 4.0.

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