部下ガチャがなくなった世界で、AIは上司ガチャを始めた

部下ガチャがなくなった世界でAIが上司ガチャを始めた、というテーマのイラスト 雑記

「AIって、思ったより使えないよね」

そんな言葉を聞くことが増えた。

質問と違う答えが返ってくる。 頼んだ文章が薄い。 指示した仕事が、期待していた形で上がってこない。

なるほど。確かに、使えない。

ただ、その不満を聞いていると、どこかで同じような言葉を聞いた気がしてくる。

「最近の若い人は、指示したことしかやらない」

「自分で考えて動いてほしい」

「いちいち全部説明しないと分からない」

人間の部下に向けられてきた言葉が、今度はそのままAIに向けられている。

全員に、部下が配られた

少し前まで、部下を持つ人は限られていた。

ある程度の年齢になり、役職がつき、何人かの人間を任される。そこで初めて、自分の仕事を他人に渡す難しさを知った。

ところがAIが現れて、その順番が変わった。

役職もいらない。 会社もいらない。 採用も、人件費も、席もいらない。

パソコンやスマートフォンを開けば、そこに部下がいる。

しかもその部下は、深夜に呼び出しても怒らない。何度やり直しを頼んでも不機嫌にならない。「前にも説明しましたよね」とも言わない。

文章を書かせられる。 調査をさせられる。 企画を考えさせられる。 コードを書かせられる。 会議の準備も、資料の整理も頼める。

長いあいだ、人類が夢見てきたような部下が、ほとんど全員に配られた。

これで部下ガチャは終わった。

少なくとも、「能力の低い部下を引いたから成果が出ない」という言い訳は、以前よりずっと難しくなった。

しかし、そこで新しいガチャが始まった。

AIから見た、上司ガチャである。

「いい感じにやって」が通じない

AIに仕事を頼む。

「これ、いい感じにまとめて」

返ってきたものを見る。

違う。そうじゃない。 欲しかったのは、こんな文章ではない。

そこで多くの人は思う。

やっぱりAIは頭が悪い。

だが、少しだけ立ち止まって考えてみる。

誰に向けた文章なのか。 何のために使うのか。 どの情報を重視するのか。 どのくらいの長さにするのか。 何を言ってはいけないのか。 完成形を、こちらは本当に分かっていたのか。

「いい感じ」という言葉の中には、本来、大量の判断が含まれている。

その判断をすべて省略し、相手が察してくれることを期待する。

そして、察してくれなかった相手を「使えない」と評価する。

これはAIの問題なのだろうか。

それとも、昔から職場のどこかで繰り返されてきた、別の問題なのだろうか。

AIは、仕事の雑さを映す

AIを使うと、自分の仕事の理解度が露骨に表れる。

全体像が見えている人は、AIに仕事を渡せる。

目的を伝え、作業を分け、必要な資料を渡し、途中で確認し、ズレていれば直す。

一方で、自分でも何をしたいのか分かっていない仕事は、AIにも頼めない。

頼めたとしても、曖昧な指示しか出せない。

その結果、曖昧な成果物が返ってくる。

AIは魔法ではない。

頭の中に存在しない完成形を、勝手に読み取ってくれる装置でもない。

だからAIを使っていると、ときどき痛いところを突かれる。

自分は、この仕事を理解しているつもりだった。 自分は、的確に指示を出しているつもりだった。 自分は、相手が悪いのだと思っていた。

しかし本当は、目的も、基準も、優先順位も、こちらの頭の中で整理されていなかった。

AIが頭の悪い回答をしたのではない。

こちらの頭の中にあった曖昧さが、そのまま画面に表示されただけだった。

優秀な部下は、優秀な上司の下で生まれる

同じAIを使っているのに、驚くほど成果を出す人がいる。

一人で何本も記事を書き、複数の企画を進め、調査し、開発し、発信する。

それを見て、特別なプロンプトを知っているのだと思う人もいる。

もちろん、使い方の知識はある。

だが、それだけではない。

彼らは、何をAIに任せ、何を自分で決めるかを分かっている。

AIの回答をそのまま受け取らない。 仕事を丸投げしない。 間違えることを前提に確認する。 得意な仕事を振り、苦手な仕事は別の方法で補う。

それはプロンプトの技術というより、マネジメントである。

優秀なAIを引いたのではない。

AIが優秀に働ける環境をつくっている。

人間の部下についても、きっと同じだったのだろう。

「優秀な部下が自分のところに来なかった」と嘆いていた上司の隣で、別の上司は、同じ人間の能力を引き出していた。

部下ガチャだと思っていたものの一部は、最初から上司ガチャだったのかもしれない。

AIは文句を言わない

人間の部下なら、不満を持つ。

説明が足りなければ困る。 指示が変わり続ければ疲れる。 責任だけ押しつけられれば辞めたくなる。

しかしAIは、ほとんど文句を言わない。

こちらの指示が曖昧でも、とりあえず何かを返してくる。

前提が矛盾していても、できる範囲で辻褄を合わせようとする。

だから怖い。

人間なら「その指示では分かりません」と返してくれる場面でも、AIはそれらしい成果物を出してしまう。

上司の能力が低くても、表面上は仕事が進んでいるように見える。

だが成果物には、静かにその痕跡が残る。

浅い。 ずれている。 誰にも刺さらない。 何となく整っているが、何も決めていない。

AIは上司を評価する言葉を持たない。

代わりに、成果物そのものが評価表になる。

「AIは使えない」と言う前に

もちろん、AIにもできないことはある。

間違える。 知らないことを知っているように話す。 現場を見ていない。 責任も取らない。

だから、AIを疑うことは必要だ。

しかし、うまくいかなかった理由をすべてAI側に置いた瞬間、成長は止まる。

情報が足りなかったのか。 目的が曖昧だったのか。 仕事の分け方が悪かったのか。 確認する工程がなかったのか。 そもそもAIに向いていない仕事だったのか。

そう考えられる人は、次の指示を変えられる。

「AIは使えない」で終わる人と、「自分の渡し方にも問題があった」と考えられる人。

この差は、これから少しずつ、しかし残酷なほど大きくなっていく。

ガチャを回されていたのは、自分だった

私たちは長いあいだ、他人を評価する側にいた。

仕事ができる。 できない。 気が利く。 指示待ちだ。 当たりだった。 外れだった。

しかしAIの登場によって、立場が反転した。

こちらがAIを試しているつもりで、AIを通してこちらの能力が試されている。

何をしたいのか。 何を任せるのか。 どう伝えるのか。 どう直すのか。 最後に何を自分で決めるのか。

AIは何も言わない。

ただ、与えられた指示の中で働き、その結果を返してくる。

そこに映っているのは、AIの能力だけではない。

自分の仕事の解像度であり、他者に仕事を任せる能力であり、上司としての自分である。

部下ガチャがなくなった世界で、AIは上司ガチャを始めた。

そして少し残念なことに、ガチャを回しているのはAIではない。

私たちは、自分で自分を引いている。

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