人類は何をまだ知らないのか――『未知』を探す研究データベースとAIの現在地

水彩画調の理系猫が研究机で地球儀や研究ノートを前に未知について考えているサムネイル。「人類は何をまだ知らないのか――『未知』を探す研究データベースとAIの現在地」の文字入り。 AI

研究支援AIについて調べると、すでにかなり多くのサービスがあります。

論文を探すAI、論文同士の関係を可視化するサービス、引用の支持・反証関係を調べるサービス、仮説を生成するAI、さらには実験結果を解析して次の仮説を立てるAIまで登場しています。

一方で、今回考えたかったのは少し別の問題です。

「人類が何を知っているか」ではなく、「人類が何をまだ知らないか」を体系的に把握できるのか。

現在、このために使える部品はかなり揃っています。しかし、「未知そのもの」をデータベース化しているサービスは、まだ一般化していません。

今回は、現在使える研究データベースやAIを整理しながら、この点を考えてみます。

人類の「既知」を集める学術データベース

研究の全体像を把握するうえで、まず重要なのが学術データベースです。

代表例の一つがOpenAlexです。

OpenAlexには論文、書籍、学位論文、プレプリント、データセットなど、3億件を超える研究成果が収録されています。さらに、著者、所属機関、研究テーマ、引用関係なども紐付いています。

単なる論文検索サイトではなく、研究成果同士の関係をグラフとして扱える点が重要です。

例えば、

  • どの研究分野で論文数が増えているか
  • どの研究テーマ同士が近いか
  • どの論文がどの論文を引用しているか
  • どの研究者や研究機関が特定テーマに集中しているか

といった分析ができます。

同様に、Semantic Scholarも大規模な学術グラフを提供しています。

生命科学であればPubMedがあり、DOIや出版物のメタデータという点ではCrossrefがあります。

つまり現在は、「これまでに何が研究されたか」を機械的に集めるための基盤データは、すでにかなり整備されています。

研究領域を地図として見る仕組み

次にあるのが、論文同士の関係を可視化するサービスです。

例えばResearchRabbitでは、ある論文を起点に、関連論文や引用関係をネットワークとして表示できます。

これによって、「このキーワードに一致する論文を探す」だけでなく、「この研究の周辺では何が調べられているか」を見ることができます。

これは研究分野を点ではなく、ある程度「空間」として見る方法です。

研究が密集している領域と、研究が少ない領域も見えてきます。

ただし、ここで注意が必要です。

論文が少ない領域が、そのまま価値のあるResearch Gapになるわけではありません。

ここが今回の議論で最も重要な点です。

文献からEvidenceを構造化するElicit

Elicitは、AIを利用した文献調査サービスです。

単純に論文タイトルを検索するだけではなく、研究上の問いを入力すると、それに関連する論文を探し、内容を比較・整理できます。

例えば、「高温がトマトの花粉稔性に与える影響」という問いに対して、

  • どの温度条件で実験されたか
  • どの品種が使われたか
  • どの発育段階で処理されたか
  • 花粉稔性がどう変化したか

といった情報を複数の論文から抽出できます。

これは重要です。

なぜなら、Research Gapを探すためには、論文数を数えるだけでは不十分だからです。

論文の中に書かれている実験条件まで構造化する必要があります。

知識の確からしさを扱うScite

論文が存在しているからといって、その内容が確立された知識とは限りません。

そこで興味深いのがSciteです。

Sciteでは、ある論文が後続研究からどのように引用されているかを分析します。

単なる引用回数ではなく、

  • その主張を支持している引用
  • 反対の結果を示している引用
  • 単に言及している引用

などを区別します。

これはResearch Gapを考えるうえでも重要です。

例えば、ある現象について30報の論文が存在していても、

  • ほぼすべて同じ結果であれば、比較的確立した知識です
  • 結果が半分ずつ割れていれば、未解決問題です
  • 1本の論文だけが大量に引用されていれば、実際の検証数は少ない可能性があります

つまり、「研究されたかどうか」だけでなく、「どこまで確かめられているか」を見る必要があります。

仮説生成へ進むAI Scientist

さらに進んだ例として、GoogleのAI co-scientistがあります。

これは研究者が与えた研究課題に対して、既存知識を整理し、新しい仮説を生成し、その仮説を評価するAIシステムです。

FutureHouseのRobinはさらに進んでいます。

Robinでは、

  1. 文献を調べる
  2. 仮説を生成する
  3. 実験案を考える
  4. 実験結果を解析する
  5. 次の仮説を生成する

という流れを繰り返します。

つまり研究支援AIは、すでに「論文を探す道具」から、「次に何を研究するかを考える道具」へ進み始めています。

「論文0報」はResearch Gapではない

ここまでを見ると、かなり揃っているように見えます。

しかし、実際には大きな抜けがあります。

現在のシステムの多くは、人間が問いを入力するところから始まります。

例えば、「トマトの高温ストレスについて教えてください」と入力すれば、関連論文を探してくれます。

しかし逆に、世界中の論文を解析して、人類がまだ調べていない条件を自動的に列挙するというサービスは、少なくとも一般的な形ではまだほとんどありません。

例えば次のようなデータがあったとします。

条件論文数
トマト × 32℃ × 花粉稔性18
トマト × 33℃ × 花粉稔性9
トマト × 34℃ × 花粉稔性27
トマト × 35℃ × 花粉稔性0
トマト × 36℃ × 花粉稔性11

この場合、「35℃だけ論文がない」ことは検出できます。

しかし、それだけでは研究価値があるとは言えません。

34℃と36℃で十分なデータがあり、結果が連続的なら、35℃を追加で調べる価値は低い可能性があります。

つまり、論文がないことと、未知であることは同じではありません。

単純な「未研究条件」と価値ある未知の違い

例えば、次のケースを考えてみます。

Arabidopsisではgene Xの機能が100報以上研究されています。

一方、イネのhomolog Xでは論文がありません。

これをそのまま、「イネでは未研究なので重要なResearch Gapです」と判断すると問題があります。

Arabidopsisとイネで機能が強く保存されているなら、単なるspecies substitutionかもしれません。

逆に、イネ特有の表現型や農業形質との関係が予測されるなら、非常に価値のある研究になる可能性があります。

必要なのは、研究が存在するかどうかではなく、近接する知識からどの程度推論できるかを見ることです。

既知から未知までの「距離」

Research Gapを定量化するなら、少なくとも次のような情報が必要になります。

  • 完全一致する研究が何報あるか
  • 近い条件の研究が何報あるか
  • 類似種での研究があるか
  • homologous geneの研究があるか
  • 同じ表現型について別条件の研究があるか
  • 結果が一致しているか、矛盾しているか
  • 特許や学位論文に情報があるか
  • Negative resultが報告されているか

例えば、Tomato × 35℃ × flowering × pollen viabilityという条件に直接対応する論文が0報だったとしても、34℃と36℃の研究が大量にあれば、既知からの距離は近いです。

一方で、近縁種でも同じ現象がほとんど研究されていなければ、既知からの距離は遠くなります。

この距離を定量化できれば、単なる「未研究条件」と、本当に情報が欠けているResearch Gapを区別しやすくなります。

まだ存在しない「Unknown Base」

ここまで考えると、現在のKnowledge Graphとは逆方向のデータ構造が必要になります。

仮に、あるResearch Gapを一つのデータとして持つなら、例えば次のようになります。

Research Gap

  • Species:Tomato
  • Condition:35℃
  • Developmental stage:Flowering
  • Phenotype:Pollen viability
  • Direct evidence:0報
  • Near evidence:43報
  • Related species evidence:27報
  • Contradictory evidence:3報
  • Gap confidence:0.82
  • Scientific value:0.55
  • Commercial value:0.79
  • Estimated experiment cost:20万円
  • Experimental feasibility:High

こうなると、「論文がありません」ではなく、「この未知はどの程度未知なのか」を扱えるようになります。

さらに、科学的価値実験コストを同時に評価できれば、次に実施すべき研究の優先順位まで付けられます。

Research Gapから実験市場へ

未知を見つけるだけでは、知識は増えません。

必要なのは実験です。

そこで、

文献データベース → Knowledge Map → Research Gap検出 → 実験案生成 → 研究者・CROとのマッチング → 実験 → 結果蓄積 → Knowledge更新

という流れが考えられます。

研究マッチング自体はすでに存在します。

Scientist.com、Science Exchange、Kolabtreeなどでは、企業や研究者が研究業務を外部へ依頼できます。

したがって、技術的には、Research Gapを自動検出して、そのまま研究案件として市場へ流すという仕組みも考えられます。

例えば、

この条件は直接研究がありません。 近接研究は47報あります。 実験には約20万円かかります。 商業的重要度は高いと推定されます。 この実験を実施できる研究者を募集します。

という形です。

Negative resultを知識として残す価値

この仕組みを考えるうえで、もう一つ重要なのがNegative resultです。

現在の科学論文にはpublication biasがあります。

実験して差が出なかった場合、その結果が論文にならないことがあります。

すると文献データベース上では、「誰も実験していない」のか、「実験したが何も起きなかったので公開されていない」のか区別できません。

もし研究マッチングと実験結果データベースを統合できれば、

実験済み 有意差なし

という情報も残せます。

これは非常に重要です。

「Unknown」だった場所が、Known negativeに変わるからです。

現在あるのは、Unknown Baseを作るための部品である

今回調べた範囲では、必要な技術の多くはすでに存在しています。

OpenAlexやSemantic Scholarには大規模な学術グラフがあります。

Elicitは文献から実験条件や結果を抽出できます。

Sciteは既存知識の支持・反証関係を分析できます。

ResearchRabbitは研究分野の関係を可視化できます。

AI co-scientistやFutureHouseは仮説生成や研究計画まで行い始めています。

さらに、研究受託のMarketplaceも存在します。

一方で、これらを統合して「人類が何をまだ知らないか」を継続的に記録する仕組みは、まだ一般化していません。

現在あるのは、Knowledge Baseを作る技術です。

これから作れる可能性があるのは、Unknown Baseを作る技術です。

そして本当に価値があるのは、未知を大量に見つけることではありません。

どの未知を調べれば、人類の知識が最も増えるのかを順位付けすることです。

AIによって文献検索や仮説生成のコストが下がるほど、最後に重要になるのは実験です。

そのため今後は、「何を知っているか」だけでなく、「何を知らないか」「その未知を調べる価値はいくらあるか」「どの実験をすれば最短で埋められるか」まで扱う仕組みが重要になっていくと考えています。

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